【15回】2世が祝福結婚する3つの理由
この記事の内容は、全て私の主観と偏見で執筆されています。
今回は、何故祝福を受けるのかという質問に返答させて頂きたいと思います。
【14回】の記事の花さんのコメントより
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あなたが教会に繋がって祝福を受けようとする理由が何となくわかり、やはり二世は親思いが多い (しがらみもあるんですかね) のだと感じます。
ただ今の二世で祝福を受けて幸せな家庭をつくるだけを目指す方々が祝福家庭となり摂理とやらを押しつけられた場合どうするのか疑問です。清平や伝道、献金もです。
その辺はどうお考えですか?
また祝福を受けて三世の教育も教理中心になる場合、どのように感じられるのでしょうか?
とりあえず今はお見合い形式に近く断れるので二世の中でも似た感性を持ち教理関係なく愛せる方と祝福を受けられた方がその後生きやすいように思えます。
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ご閲覧ありがとうございます。
私が祝福を受けるのは、①「神様を信じている」という同じ価値観を持った人と一緒になりたいという気持ちと ②親や2世の友人に堂々と明かすことのできる結婚をしたい という気持ち (しがらみなのかもしれませんが) と ③機会損失が大きすぎると考える (自分の今まで純潔を守ってきた期間とプライド笑) という3つの理由があるからです。
私の信仰自体が、親 (1世) の「探し求めた真理」ではなく「親 (1世) から与えられた真理」なので能動的なものではなく、受動的なものです。
私と異なり信仰に真面目な2世は、み言葉の勉強や実践活動 (伝道や万物復帰) を通して信仰を「自分化」し、自分にとって信仰とは何なのかを明確にしていきます。
私にとっての信仰は、ライフスタイルの中の1つとしての信仰と考えているので、信仰を全ての軸にしてライフスタイルを設計していくような生き方はしないつもりです。
私が、信仰をこれから一生継続的にやっていく自信があるかと言われると無いです。やっていく自信がないので現在祝福を受けるのを躊躇しています。
摂理的に私が、会社を辞めて献身しなさいと言われても私は、「お金無しには、愛も家族も何も成すことができない」という考えを持っています。
したがって、私に摂理を押し付けられたのなら「やりません!」と断る予定です。
献金は、毎月のお給料の1/10はする予定ですが、それ以上はしないつもりです。
1/10をする理由は、教会を機能させるための最低限の資金が必要だと考えるからです。
清平は、数年に一度必要な時だけ行けばいいのかなと思っています。
伝道は、全くやる気はありません。私に伝道は向いていないと思うので得意な人だけが、伝道すればいいと考えています。
3世の教育は、基本的な原理講論に対する教育と毎日の訓読会と日曜礼拝に参加を通して行う予定です。3世が、年をとり物事が判断につくようになったら、信じようが信じまいが自分が納得した人生を生きていけるように配慮して自分の信じる道を歩ませたいと考えています。
今回は余計にまとまっておらず申し訳ありません。
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